念仏会に寄せて
東京在住 T さん
私はこどもの頃から、正確に言えば、
人は死んでしまうということを知ってしまってから、
「死」というものに対して猛烈に恐怖心を抱いていました。
特に憶えているのは11歳の時のことです。
最愛の祖母が亡くなり、
“なぜこ のようなかたちで
人は別れていかなければならないのだろうか?
世界で一番私 を愛してくれた祖母が、
なぜ苦しみながら死んでいかなければならないのか”
と、私はあまりの悲しみにこの事実を
受け入れることができませんでした。
そして、さらに恐ろしいことに、
“この私自身も、いつかは死ななければならないのだ。
「私」というこの意識そのものが肉体とともに
消滅してしまうのである。
結局のところ死んでしまうのにもかかわらず、
人はなぜ生まれてきて、
そ してこの世を生きていかなければならないのだろうか。
なぜ私以外の人は、この恐ろしい事実を知りながら
平然と生きていられるのだろうか”
と、私は恐ろしさのあまり、むしろこのことを
意識しないように生きてきました。
そして私は、なるべくこの世のいわゆる「生活」以外には
目を向けないようにしてきました。
その結果、宗教であるとか魂であるとか、「死」を連想させる
ものは一切遠ざけてきたように思います。
私はたとえ人に馬鹿にされようと、「死」 が
こころの底から怖くて怖くて仕方がなかったのです。
ところが、29歳の時、突然理由もなく、
こころが「恐怖」の塊のような状態 になってしまい、
このままでは発狂してしまうのではないかというくらい
追い詰められてしまいました。
仕事に熱中しているふりをしたり、
趣味に興じたふりをしていても、
無意識に私は「死」のことが気になっていたのでしょう。
あの頃はよく独りで、意識がなくなるまでお酒を
飲んでしまっていました。お酒を飲んでいないと、
こころの隙間に「死」が忍び寄ってくるからです。
ちょうどその頃から、私は指圧を受けるようになり、
その流れからタオサンガに出会い、
念仏会に参加するようになりました。
最初はやはり念仏も「死」に直面するために抵抗がありましたが、
何回か続けていくうちに、微かに「死」に対して何か
可能性があるような予感がしてきました。
念仏をしていると無限の宇宙を光になって自在に
飛び回っているような感じがするのです。
このままいき続けて、本当に光になってしまいたいとさえ
思う時もあります。
今までに感じたことのない、「生命の本質」に
向かっているような不思議な感覚なのです。
とはいえ、私はようやく「死」の入口に立ったばかりです。
もっともっと、深く宇宙(生命)の真実に向かっていきたいのです。