修行とは、無意識を意識化していくということ。それは、自己に内在するあらゆる無意識層の内容を認識し、これを言語化し、さらに、これを生きるというプロセスを言います。
余談ですが、このような行為を、ユングは個性化と呼び、自我とは別の自己(セルフ)の存在を提示しました。
さて、念仏修行というのは何かというと、これは智慧の開発なんですね。
で、この智慧を簡単に言えば、それは無意識を意識化して行くことです。
我々の無意識には、七識、八識、九識と、各層がある。そして、最後の九識は宇宙意識。仏性であり、如来様の意識とつながっている所です。
そして、これを意識化していく作業が、まさに仏を念じるという行為(念仏)なんです。
心を集中して仏を念じ続けることは容易なことではありません。
しかし、それによって、人に内在する仏の意識が目覚めてくる。
そこの所を、観無量寿経では、“阿弥陀仏の相(すがた)を心に思い浮かべよ。
仏の智慧の海は、イメージから生まれるのだから”と説いています。
仏を念じることと、自己内在の無意識を認識することは、表裏一体です。
そして、お釈迦さまが説かれた、八正道の「正見」とは、自己の内面、心、無意識をありのままに見通すことを言うのです。